上原美優 (うえはら みゆ)

上原美優 (うえはらみゆ) さんがグラビアアイドルとして活躍した事柄を中心に「まとめ」としての情報を紹介しています。

目次 : 上原美優 さんの情報

プロフィール

名前上原美優
ふりがなうえはら みゆ
生年月日
年齢
血液型A型
出身地鹿児島県熊毛郡中種子町
身長152cm
スリーサイズ (cm)B78 W56 H86
デビュー2006年
引退2011年
ファースト写真集はれ、ときどきナミダ
ファーストビデオ
(AV は含まない)
みゅうみゅう
備考本名: 藤崎睦美 (ふじさき むつみ)

動画・DVD・写真集・カレンダー

略歴・人物・エピソード

  • 元タレント・グラビアアイドル。本名、藤崎睦美 (ふじさき むつみ)。
  • 「貧乏アイドル」として、貧しい家庭でのエピソードを明るく話し、所属していたプラチナムプロダクションの看板タレントの一角までに成長する。芸能界デビューまでの道のり、及びその後も死去まで波乱万丈の人生を送り、その人柄で死去後も熱烈なファンが存在する。
  • 大家族であるため家計は苦しく、以下のエピソードがある。
    • 上の兄姉が既にそれぞれ家庭を持ち子供がいるため、人数が多く、10人全員が実家に集まることが不可能だった。
    • 下着が足りず中学までノーパンで通学した。
    • 種子島宇宙センターでのロケット打ち上げ時には振動で家が揺れるため、家族全員で家具を支えた。
    • 雨が降った日は雨漏りがすごく、家の中でも傘を差さないといけない。
    • 幼稚園に通うことができず友達も少なかったが、母親の提案で母親が帰宅途中の園児を家まで誘い、その園児と一緒に遊ぶという生活を送る。上原本人も楽しみにしていたが、帰宅する途中の園児に声をかける場面を巡回中の警察官に発見され厳重注意を受けたため、長くは続かなかった。
    • 1994年に小学校に進学するも、同時に家計の苦境も増し、給食費も半年遅れでの支払いが続いた。
  • 当時の藤崎家は家庭の状況から、子供は中学卒業で自立することが家庭内の決まりであり、種子島を離れ鹿児島市内の高校へ進学、自ら学費を稼ぎながら通学していた。だが入学後暴行被害に遭った事が原因で退学する。

  • 1987年5月2日、父親が55歳で母親43歳の時、兄弟4男6女の末っ子として誕生。本名の睦美は六女に因んで付けられた。姉の1人は「ミス種子島」に選ばれている。
  • 2006年、桜井ひな、藤崎まやと共にフォーミュラ・ニッポン「ディレクシブレーシングガールズ」としてレースクイーンデビューをするが、チームの突然の撤退により第5戦で活動終了する。
  • 2007年、「sabraブロガール選手権」出場。その後、ブランクを経て「種子島出身の貧乏アイドル」として知名度を上げる。
  • 2007年、クリスマスに恋人に振られた寂しさから睡眠薬を服用し自殺を図ったが、一命を取り止めた。
  • 2008年夏頃よりテレビのバラエティ番組にも多数出演するようになった。
  • 2010年2月28日、東京マラソン2010に参加。レース前に「『ゴールさえすればいい』とチャライことを言っていた西尾さんには負けたくない」と、西尾由佳理(フリーアナウンサー、当時:日本テレビアナウンサー)を挑発する発言をするが、西尾は完走し、上原は天候と故障している足による影響で意識を失い、スタートから25km地点でリタイヤとなった。
  • 2010年3月29日、母親が心筋梗塞で他界したが、本人は仕事で最期を看取れなかった。この時初めて家族全員が集合して葬儀を行い、記念撮影をした。だがショックは大きく、以後精神的に不安定な様子が見られたという。
  • 2011年5月11日、この世を去る。詳細は 上原美優 - Wikipedia にて確認してほしい。

こんなに可愛らしく素直な人でも、その心の深い部分で、苦しんでいたと思うと悲しくなる。人間という者の気持ちや心の大切さ、愛の必要性を感じざる得ない。

※ この情報の一部は Wikipedia から引用しています。

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