橋本マナミ (はしもと まなみ)

橋本マナミ (はしもとまなみ) さんがグラビアアイドルとして活躍した事柄を中心に「まとめ」としての情報を紹介しています。

改名: 細川愛実 (ほそかわ まなみ) → 橋本愛実 (はしもと まなみ) → 橋本マナミ

目次 : 橋本マナミ さんの情報

プロフィール

名前橋本マナミ
ふりがなはしもと まなみ
生年月日
年齢
血液型AB型
出身地山形県山形市
身長168cm
スリーサイズ (cm)B86 W60 H88
カップサイズGカップ
デビュー1997年
ファースト写真集Bun Bun Bum
ファーストビデオ
(AV は含まない)
橋本愛実 age16
趣味映画鑑賞、舞台鑑賞、読書、ゴルフ
特技乗馬、スキー、日本舞踊、早口言葉、オカリナ
資格着付け3級、乗馬3級、ジュニア野菜ソムリエ、ベジタブルビューティーアドバイザー
受賞 (歴)第7回全日本国民的美少女コンテスト 演技部門賞
第30回日本ジュエリーベストドレッサー賞 (30代部門)
備考本名: 細川愛実

動画・DVD・写真集・カレンダー

略歴・人物・エピソード

  • 山形県山形市出身。山形市立第五中学校出身。山形城北女子高等学校(2年生の2学期まで)→堀越高等学校卒業。
  • 弟が1人いる。
  • オスカープロモーション所属の女性芸能人によって結成されたフットサルチーム「表参道BEAUTY」の元メンバー。
  • 「今愛人にしたい女性」と呼ばれることもある。
  • かつて出演した2時間ドラマでは水死体役が多く、「真冬の海など冷たい水の中で動くことができず気を無にしていたら、意識が遠のいて本当に死にそうになった」と語っている。
  • オスカー時代は仕事がない時にはケータリングのアルバイトなどをしていた。また、居酒屋や倉庫作業で働いていたこともある。なお、当時の事務所であるオスカーの方針としては禁止のため、内緒でしていた。
  • コーヒーが飲めない。

  • 幼少時は内気で人前に出ることが苦手だったが、小学6年生の時に担任の先生に勧められて学級委員長や音楽会の指揮者を務め、人前で目立つことの快感を覚えたという。芸能人になりたいと思った切っ掛けは好きなテレビドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ)。
  • 中学1年時(1997年)に第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞し芸能界入り。デビュー当初に名乗っていた本名の細川愛実だと、同じくオスカープロ所属・細川直美と混同されやすいので母の旧姓・橋本を採って橋本愛実として芸能活動をすることになった。
  • 16歳の時、水着グラビアデビュー。本人曰く「それまでスクール水着しか着たことなかったから、現場に行ってビキニがいっぱい置いてあって、スタッフも男性がいっぱいいることがすごく嫌で(撮影で)上手く笑うことができなかった。その時に『誰も見ていないから』とスタッフに言われたことが、今では励ましてくれていたつもりだと分かるけど、当時は本当に落ち込んだ」。また、初キスは17歳の時に中学時代から格好良いと思っていたバスケットボール部の男子生徒と山形県の霞城公園のベンチで、と語っている。
  • 2012年、オスカープロモーションからアービングに移籍し、芸名・橋本愛実を橋本マナミに変更し現在に至る。「名前を片仮名にしたら運気が上がった」と話している。同じアービングに所属する矢吹春奈とは『下北GLORY DAYS』で共演して以来の親友で、ブログにも度々登場する。2013年10月より所属はアービングのまま、ハーモニープロモーションとマネジメント提携を行う。
  • 2014年12月25日、みうらじゅんが独断で選ぶ「輝け! 第17回みうらじゅん賞」を受賞。
  • 2015年12月末、格闘技イベント「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015」の広報大使に就任。
  • 2016年、8つの短編から成るオムニバス映画『全員、片想い』の一編・「イブの贈り物」で横浜流星とW主演。橋本は本作品が映画初主演である。
  • 2019年1月、第30回日本ジュエリーベストドレッサー賞(30代部門)を受賞。
  • 2019年11月27日、1歳年下の勤務医との結婚をブログで明らかにした。結婚後もグラビア活動は続けるという。
  • 2020年2月27日、ブログにて第1子の妊娠を発表した。7月2日、第1子男児の出産を発表。7月29日、『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で仕事復帰。
※ この情報の一部は Wikipedia から引用しています。

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